こんにちは、京築ママライターのあゆみです。
100年以上前にみやこ町犀川で自生する「かずら」で筆(上写真)を作り、毎朝3000字を日課として研鑽を積んだと言い伝えられている書家・下枝董村。その筆を再現・制作している現場にお邪魔してお話を伺い、筆作り体験もしてきました。とても興味深い内容でしたので、ご紹介します。
かずら筆とは?
書道で使う筆の多くは、毛材として動物の毛を使っています。イタチ、タヌキ、ウマそして羊毛(ヤギ)などが一般的で、人の毛を使った筆もよく知られています。
かずら筆はそれらの筆とは全く違い、持つところ(軸)だけではなく毛の部分(筆鋒)まで「かずら」と呼ばれる植物でできています。かずら(葛)はつる性の植物で、木に巻きついて成長します。繁茂力旺盛で、巻きついた木の成長を妨げ、時には木を枯らしてしまうこともあります。
かずらの筆作りは、まず山に入りかずらを切り出すところから始まります。切り出したかずらに下処理を施した後、ナイフで筆になる部分の皮を削ぎ、中にある繊維を木槌で叩いてほぐします。最後に十分乾燥させると、かずら筆の出来上がりです。自然に生えているものだから、真っ直ぐな筆ばかりではなく、個性豊かで世界に二つとない形をしています。それがかずら筆の魅力のひとつです。
かずら筆は昔、下枝董村という書家が愛用した筆ですが、現代の書家からもユニークな筆であるがゆえ、重宝がられているそうです。
書家・下枝董村って?
文化4年(1807)、企救(きく)郡合馬(おうま)村(現北九州市小倉南区合馬)に生まれ、7歳から書を始めた。非凡な才能が認められ、小倉藩主の第10代藩主・小笠原忠忱が幼少の頃に、手習師範を務めた。明治2年(1869)に豊前国仲津郡木井馬場(きいばば)村(現在のみやこ町犀川木井馬場)に移り住んでからも、毎朝3000字の日課は欠かさなかった。
山里暮らしでこれまでの暮らしぶりも一変、筆・墨・紙が容易に手に入らないことに頭を悩ませた。やがて木に絡みついているかずらを取って繊維をほぐして筆とし、山から湧き出る清水を墨に、板切れや岩肌を紙の代用品とし、練習に励んだ。
明治18年(1885)、董村は79歳でこの世を去った。生前から柿ノ木原の山中にある「鏡岩」を自身の墓と決めており、晩年董村が愛用した銅鏡をはめ込んだ「鏡岩」の下に眠っている。董村は日本書家十傑のひとりと言われ、かずら筆を使って作り出す独特の書風が人々を魅了する、異才の書家として注目されている。
かずら筆の復活ストーリー
下枝董村の死後、かずら筆は時間と共に過去の物になっていきました。しかし地元で暮らす人々から、偉大な書家のことをもう一度見直そうという声が上がり、董村が愛用したかずら筆を復活させる動きが生まれました。
かずら筆を再び〜「柿ノ木原董村会」発足
平成元年(1989)、董村が眠る鏡岩がある木井馬場柿ノ木原では、村人の間で董村のかずら筆が話題になり、村に住むお年寄りの手で104年ぶりにかずら筆をよみがえらせました。珍しい筆ということで、新聞やテレビでも紹介され、にわかに村は活気づき、有志の呼びかけで「柿ノ木原董村会」が発足しました。その後、福岡で開催されている「よかトピア」、北九州の「小倉城まつり」などイベントへの実演・参加依頼が舞い込むようになり、かずら筆と下枝董村を広く知ってもらう機会を得ました。
かずら筆にまつわるエピソード〜藤本義一さん
1991年に行橋市で直木賞作家・藤本義一さんの講演会があったとき、聴衆に筆でサインをしているのを見かけた関係者が、かずら筆のことを話すと興味を持たれたそうです。後日、藤本さんにかずら筆を送ると、数ヶ月後にかずら筆で書かれた額が送られてきました。その数年後、当時の犀川町で行われた講演会の講師として藤本さんが再訪、講演後にかずら筆を制作している「柿ノ木原董村会」を訪れ交流しました。その後、藤本さんはかずら筆に関する原稿を書の雑誌に寄稿するなど、かずら筆愛好家の1人となりました。
当時のエピソードを語ってくださったのは、ガラミワインの取材でお世話になった光畑浩治さん。郷土研究家として、かずら筆のことも柿ノ木原董村会発足当時から追いかけています。
平成元年にかずら筆が復活
みやこ町在住のいちご農家を営む塚田聰さんは、平成元年にかずら筆に興味を持ち始め、かずら筆を自分でも作ってみることにしました。しかし董村が使っていたかずら筆はすでに存在しておらず、試行錯誤の日々でした。
制作したかずら筆は、高校の同級生で同じくみやこ町で書家として活動している棚田さんに書き味を試してもらいます。工夫を凝らして、現在の作り方に辿り着きました。今回は実際に塚田さんのご指導のもと、私も木槌を叩いてかずら筆作りに挑戦。塚田さんにご指導いただきました。
かずら筆の特徴
かずら筆の特徴について、みやこ町の書家・棚田看山さんに伺いました。
意のままにいかないかずら筆
書の達人である棚田さん曰く、筆の先がまとまらないのがかずら筆の特徴。うまくいかないところが持ち味と言えるのだそうです。かずら筆に出会うまでは、筆を意のままに操ってこられたのだと思います。しかし「意のままに操るなんておこがましいという境地に至り、とても楽になった」というお話に、感銘を受けました。
荒れた線が魅力
かずら筆は硬くて筆先がまとまらず、荒れた線になります。柔らかい筆だと思ったように動かすことができますが、思うように行かないため、筆に任せることになります。そしてそれがかずら筆の魅力と言えるのだそうです。
かずら筆は書家を一流にする?
棚田さんのお話を伺いながら、かずら筆で字を書くことで得られる気づきが素晴らしいと感じました。「意のままに操るなんておこがましい」と気づき、筆先がまとまらないので荒れた線になるけれど、それを受け入れて「それが魅力」と思える境地に達するまでには、時間がかかるようです。
人生には自分のコントロールが及ばないことばかり。それをありのまま受け入れて、そこから何かを創り出す作業がまさに、かずら筆を持って字を書くことと重なる気がしました。
董村は毎朝1人でかずら筆で3000字を書きながら人生にも向き合い、書家・下枝董村の新境地を開いていったのでしょうか。棚田さんは董村の書のコレクターでもあり、作品の中にはかずら筆で書いたとは思えないほどやわらかい字で書かれた作品もあり、長年の研鑽で董村が築き上げた書の奥義と言えるのだそうです。
かずら筆作り体験
かずら筆職人・塚田さん、董村研究の第一人者・棚田さん、京築の郷土研究家・光畑さんの興味深いお話を伺った後は、いよいよかずら筆作りの体験です。かずら筆作りはかずらを切り出すところから始まり、完成までに1ヶ月かかるので、今回の体験は木槌でかずらの繊維をほぐす工程を体験させていただきました。
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山里のかずらを切り出します。筆の制作前に、切り出したかずらを水に浸しておくと柔かくなります。
- 筆先になる部分の荒皮をナイフで削り、ナイフで繊維に切り目を入れます。こうすることで硬い繊維を木槌で叩いてほぐしやすくなります。
- 木槌で繊維が柔らかくなるまで根気よく叩きます。繊維が束になっている部分は、手でほぐすとよいです。
- 繊維が細くなったら水にさらしてアクを取り除き、よく乾燥させます。
- 十分に乾燥したら完成です!
かずら筆で書いてみた
初めてかずら筆の筆先を触ったとき、すごく硬いと思いました。棚田さんが言われていたように、「筆先がまとまらず、字がかすれ、意のままには動かせない」というのが想像できました。そのときの気持ちを乗せて書く線の味を楽しめばいいのかな?と私なりの解釈。
そしていよいよ、かずら筆の試し書きをすることにしました!
かずら筆の今後
塚田さんが制作したかずら筆には、「董村会」の焼印があります。制作現場に伺ったとき、たくさんのかずら筆を制作されていました。今後かずら筆が京築を中心に全国へ広がり、書道愛好家に楽しんでいただける存在になればいいなと思います。かずら筆関係者はまず第一歩として、ゆかりのある小倉城で何かできればと話しています。
最後に、今回の取材のきっかけ及びセッティングをしていただいた光畑さん、かずら筆の制作について教えてくださった塚田さん、下枝董村とかずら筆について教えてくださった棚田さん、長時間お付き合いくださりありがとうございました。
※取材同行フォトグラファー:京築ママライターきょんぴー
この記事の写真は、一部を除き、きょんぴーが撮影しました。