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歴史に埋もれた敗者を掘り起こし、豊前国郷土史の実相に迫る

「歴史は勝者によって創られる」と語るのは、行橋市在住の郷土史家・小野剛史さん。私たちが見る歴史は確かに、勝者に光があてられたものが多いように感じます。小野さんによると「敗者は時と共に忘れられ、残っている記録も少ないのが常」なのだそうです。
今回は2022年5月に出版された『負け戦でござる 北九州豊前国敗者列伝』の著者である小野さんに、この本であえて敗者を取り上げた意図や郷土史に関わるようになった経緯を伺いました。取材させていただいた素敵な場所も、記事最後に紹介します。

郷土史家・小野剛史さんってどんな人?

著者『負け戦でござる。北九州豊前国敗者列伝』著者・小野剛史さん

行橋市在住で郷土史家の小野剛史さんは、今までに郷土史の本を4冊書いています。その中でも豊前国歴史シリーズ3部作と位置付けているのが次の3冊。

  • 『豊前国苅田歴史物語』 花乱社 2016年
  • 『小倉藩の逆襲』 花乱社 2019年
  • 『負け戦でござる。 北九州豊前国敗者列伝』 花乱社 2022年

小野さんは学生時代から歴史に興味があったというわけではないそうです。大学では社会学を専攻し、苅田町の職員として勤務していました。在職中に苅田町合併50周年のイベントがあり、苅田の歴史をまとめた記念誌の制作を任されたそうです。これがきっかけで、郷土史の世界に足を踏み入れることになりました。

その後、何冊もの郷土史本を出版し、コロナ前は郷土史の講演も活発に行っていたそうですが、講演が思うようにできなくなってからブログで情報発信を始めました。

小野さんのブログ→豊前国郷土史家のぐだぐだ日記(外部リンク)

豊前国郷土史、なぜ敗者にスポットを?

小野さんは本書の執筆を始めた時、全く異なった構想を持っていたそうです。ちょうど3年前に全国でコロナ感染の拡大が深刻化していた時期でした。去年までは当たり前にできていたことが今年はできないという状況に直面し、「明日のことはわからない」を実感。豊前国の歴史に目を向けた時、思いもしない出来事に翻弄され、変化に対応できずに敗者になってしまった人に思いを馳せずにはいられなかったといいます。

敗者にスポットを当てることにした理由はもう一つあります。それは豊前国の「ついで」的な存在感。以下、小野さんから聞いたお話と著書の「はじめに」の内容を参考にしながら、詳しく説明します。

豊前国とは飛鳥時代に律令制のもとで定められた行政区分(令制国)の一つで、現在の門司(福岡県)から宇佐(大分県)までの地域を指します。令制国は明治期の廃藩置県前後まで地域名として残っていました。豊前国は福岡県と大分県をまたいでいますが、当時福岡県の中心は筑前国、大分県の中心は豊後国であったため、豊前国は両国の「ついで感」漂う存在だったようです。それを裏付けるように、鎌倉時代の豊前国守護の多くは豊後・筑前などの守護が兼務。戦国時代は周りの国には戦国大名が育つ中、豊前国には主役的な存在が育ちませんでした。

そのような背景があり、豊前国の歴史の中で多くの「敗者」が存在し、彼らの存在はご多分に漏れず歴史の闇に埋もれかかっていたといいます。コロナ禍で味わった「明日のことはわからない」実感と相まって、今こそ豊前国に関わった「敗者」にスポットライトを当てて、豊前国の郷土史の実相に迫ってみたいと考えたのだそうです。

『負け戦でござる。』表紙
『負け戦でござる。 北九州豊前国敗者列伝』の表紙には、12名の名前があがっています。私は歴史に疎く、佐々木小次郎以外よくわからないのですが(笑)、佐々木小次郎こそ、世間ではよくわからない存在なのでしょうね。敗者なので、歴史のスポットライトを浴びた人たちではありません。その人たちを掘り起こすのは苦労があったと思います。参照できる資料も少ない中、1次資料だけではなく一般の人が手に取れる書籍なども精査し、使える内容のものを参考文献にしたそうです。

表紙と目次には、12名の名前とともに短文でどのような負け方をしたのかが書かれています。これを読むだけでも「面白そう」と思って手に取る人は多いと思います。書店やアマゾンなどオンラインでの購入が可能です。

歴史を紐解くことの面白さ

小野さんが郷土史家として、また執筆活動をする中で「嬉しい」と思う瞬間について尋ねてみました。
仕事柄、資料・史料を読むことが多いと思うのですが、1次資料※の中に新しい事実を見つけたときには、嬉しいと感じるのだそうです。私は郷土史家ではないけれど、前職は研究職だし今でも調べ物をするのが好きなので、わかる気がします!

※1次資料とは、対象とする時代において制作された工芸品、文書、日記、写本、自伝、録音・録画、その他の情報源のこと。

小野さんは「歴史を見るときに、善悪でパターン化しがちなのでは?」と話します。私たちが目にする歴史は、勝者にスポットを当てた物語を見ているにすぎず、歴史の闇に葬られた人たちを表に引っ張り出す作業の中で見えてくる姿があるようです。

歴史に疎い私は、小野さんのお話についていけるか不安でしたが、お話を伺って「なるほど」と納得することばかりでした。

取材場所「ビストロ COTA」

ビストロ COTA

今回の取材場所は、小倉北区室町にある「ビストロ COTA」でした。ここは小野さんの息子さんがシェフとして腕を振るうフランス料理店。

「ビストロ COTA」店内「ビストロ COTA」の店内は、落ち着いた空間

とても美味しいランチをいただきました!

ビストロ COTAのランチランチはスープ、メインディッシュ、パンとコーヒー

お肉がとても美味しくて、ワインが欲しかった!車の運転があるので飲めず、残念><;パンは自家製とのこと。香りがとてもよかったです。

店名 Cota(コタ)
ジャンル フレンチ
営業時間 ランチ
12:00〜13:00lo(1210円ランチのみ、火曜、水曜定休)
ディナー
18:00〜
定休日 火曜
住所 福岡県北九州市小倉北区室町2-3-6
Instagram cota_muromachi

お店は常盤橋のすぐ近く。

常盤橋江戸時代初期に架けられた橋で、当時は大橋と呼ばれていた。当時紫川には東西を結ぶ橋が2つだけで、常盤橋は小倉から九州の各地に伸びる五街道の起点・終点でもあり非常に重要な橋だった。

九州各地にのびる五街道(長崎街道、中津街道、秋月街道、唐津街道、門司往還)の起点になっている常盤橋。郷土史家を父にもつCOTAのオーナーが、五街道の起点となるこの地にお店をオープンしたのは偶然ではないのでしょうね。

長崎街道

お店のまわりでちょっとした歴史散策もできる

「ビストロ COTA」は西小倉駅側。お店の斜め向かいには常盤橋室町広場があり、江戸時代にはこの辺りがどんな街並みだったのかがわかるような図が掲示されています。

常盤橋室町広場この広場に、江戸時代(安政年間頃)の室町界隈がわかる「小倉藩士屋敷絵図」が掲示されている

この広場前から常盤橋を渡ると、すぐそばに「伊能忠敬測量200年記念碑」があります。

常盤橋にある伊能忠敬測量200年記念碑日本初の実測による当時世界最高水準の日本地図を完成した伊能忠敬。九州測量の始発点が小倉城下にある常盤橋だった。伊能測量開始200年を記念し、偉大な業績を讃え顕彰碑が建立された。

常盤橋や記念碑についての説明が掲示されているので、ぜひご覧ください。

常盤橋の上から多くの人々が渡った常盤橋。ドイツ人医師シーボルトはこの橋を銅版画で紹介。その画は橋の上からの景色で、この写真で広がる景色と似た角度だが、当時は建物がなく遠くに海が広がっている

今回、郷土史家の小野さんとの取材の機会を作ってくださったのは、豊前国小笠原協会 理事の光畑浩治さん。取材にも同行いただき、豊前国小倉城のお話をたくさん聞かせていただきました。

ABOUT ME
あゆみ
美容&医療ライター、美容・医療分野記事広告類の法令チェック・リライト、記事の編集・校正・校閲、薬事コンサルティング、西日本新聞社発行の地域情報紙「ファンファン北九州」ライター。過去に臨床検査技師から研究開発職にキャリアチェンジし、化粧品開発者として10年勤務後、大学で法学を学ぶ。 商業出版を経験『ピーターラビットで学ぶ!英語イメージ楽読術』(主婦の友社 2014年)、現在はブックライターとしても活動。尼崎市出身、行橋市在住。「英語絵本の会」代表。