食べ物

ラーメン界の若き風雲児!行橋・みやこ町「さくら亭」松岡裕貴

突然ですがみなさん、ラーメンはお好きですか?

こんな寒い季節はさらに恋しくなりますよね。

今回は、ラーメンの食べ歩きを趣味とする私サンチェが、今京築地区で話題のラーメン屋さん『さくら亭』へ取材に行ってまいりました!

 

輝くスープの「非とんこつラーメン」

さて、福岡県のラーメンといえば。

やはり「とんこつラーメン」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

かくいう私も、自分の体の半分はとんこつスープでできているんじゃないかと思うほどのとんこつ民なんです。

しかし!「さくら亭」は、なんと福岡では珍しい「非とんこつ」!!

絶品と言われるそのメニューの数々は、見た目にも美しいキラキラと輝く澄んだスープと、立ち昇る上品な香りがなんとも食欲をそそります。

主なメニューのラインナップは

  • 醤油ラーメン
  • 塩ラーメン
  • 白湯ラーメン
  • 鴨そば etc…

 

その他サイドメニューや、なんと裏メニューなんてのもあるんです!(※主に行橋店)

詳しくは下部概要欄のInstagramをチェックしてみてくださいね!

 

 

自慢のスープはどれも味わい深く、ひとくち食べるともうお箸が止まりません。

もちろん、とんこつ派のサンチェも。

「おいしい〜!!」と連発しながらあっという間に食べ進めてしまいました。

 

 

コクがあるのにあっさりしていて、女性でもスープまで完飲してしまう方が多いというこのラーメン。いやぁ納得です。

ちなみに数種類食べましたが、サンチェの個人的推しは白湯ラーメンですね(*^^*)

 

ラーメン屋の概念を覆す、オシャレな店内

さて、この魅惑の「さくら亭」ですが、現在は京築地区に2店舗を展開しています。

行橋市の街中にある『醤油・塩ラーメン専門店 さくら亭』

みやこ町国作にある『塩SOBA さくら亭』です。

基本的に、行橋市の店舗は夜営業で、みやこ町の店舗がランチ主体の昼営業となっています。

 

特に、ランチ主体のみやこ町店は、店内の雰囲気がまるでカフェのようにオシャレ!

 

店内のいたるところに、こだわりのオーダードライフラワーが飾られています。

 

お仕事の合間にササッと食べてもよし。

ランチ会で利用するもよし。

また、女性にはハードルの高い「おひとり様ラーメン」も、こんなオシャレなお店なら行けちゃいそうですね♪

 

若きオーナー 松岡裕貴

では、こんなオシャレなお店を手がけるオーナーさんは、一体どんな人なのでしょう?

イケメンさん♪

 

こちらがオーナーの松岡裕貴さん。

H4.4.8生まれの、なんと現在※2022年2月時点29です。(若い!)

お店に行って、会えばわかるはずです。

少しヤンチャな見た目から、一見とっつきにくそうな松岡さん。

いや、実際とっつきにくいかもしれません。(笑)

そんな松岡さんからは、実に表し難い、独特なオーラが出ているんです。

 

では、その並々ならぬオーラを創り出す根底には、一体何があるのでしょうか?

気になる松岡さんのルーツを、じっくりと掘り下げていきましょう!

 

 

ルーツを探れ!松岡式『俺流』

まず、松岡さんの生まれはラーメン屋。

行橋市の、旧警察署があった向かい側に、「さくら亭」という老舗のラーメン屋さんがあったことを記憶している方も多いのではないでしょうか?

そうです。実はその「さくら亭」こそが、松岡さんのご実家だったのです。

その「元祖さくら亭」は、昔ながらのとんこつラーメンで定評がありました。

実はサンチェも当時、お気に入りの店でよく行っていたものです。

まさかこんな形で御子息に取材する日が来るなんて…と、少し感慨深く思ってしまいました。

 

さて、ご実家がラーメン屋ということは。

もちろん松岡さんは、当然のように小さな頃からそのとんこつラーメンを食べて育ちました。

しかしもともと、お店を継ぐつもりは「まったくなかった」のだそうです。

むしろ「とんこつラーメンはあまり好きではなかった」とまで言い放ちます。(笑)

うーん、なんと言いますか…。

ヤンチャでぶっきらぼうな悪ガキ時代(?)が目に浮かぶようです。(笑)

そんな少年期から、どのような経緯があってラーメン屋のオーナーになったのか…。

ここから、松岡さんの「俺流人生」が始まるのです。

 

序章・運命と決意

高校を卒業した後、松岡さんは3年間会社員として働いていました。

もともと企業や組織に属することは向いてないんですよね、と松岡さんは言います。

会社勤めで変わりばえのしない日々の中、常に「なにで成功してやろうか」と模索していたのだそうです。

そして23歳の頃、なんと一念発起、小倉で飲食店を立ち上げるのです。

それは若者をターゲットにしたカフェバーを筆頭に、実に3店舗も!

「やりたいと思ったらやる。やると決めたからには実行する。そうしないと人生面白くないじゃないですか」

松岡さんはそう平然と言いました。

たった一度の人生…。確かにそうです。

しかし、それを実際行動に移す行動力、勇気、覚悟を兼ね備えた人間は、そう多くはないとサンチェは思うのです。

それをさらっとやってのけるあたり、オーラを放つ所以が既に見えてきますね。

そして、それら小倉での3店舗。

経営こそ波に乗っていたものの、3年ほど経ったある日、松岡さんは

実家である「さくら亭」『閉店することになった』との知らせを受けるのです。

 

このときです。

あれほど「ラーメン屋を継ぐつもりはない」と言い切っていた松岡さんの中に、

「自分でも不思議だった」と振り返る、ある感情が生まれました。

それは、『さくら亭の名前を残したい。』というもの。

 

 

 

そして。

なんと経営していた小倉でのお店を全て撤退し、ラーメン屋になる!と決意を固めたのです。

 

第一章・挑戦の開業

ここまで読んで、もうなんとなくわかる方もいるのではないでしょうか?

そうです。そんな一筋縄では行かないのが松岡さん。

「人の真似はしたくない」と、元祖さくら亭のとんこつラーメンではなく、まったく新しいラーメンを一から作ると決めたのです。決めちゃったのです。

 

「だってこのとんこつ県福岡で、あえて非とんこつで勝負するって面白いじゃないですか?」

周りと同じことをしても面白くない。自分は昔からほんとあまのじゃくなんですよ、と松岡さんは笑いました。

そして、思い描いたことはすぐに実行に移す!

松岡さんは、なんとそのまま関西へと旅立ちます(!)

そこで、京都の支那そば屋でラーメン屋としての修行を積むのです。

 

飲食店育ちの松岡さん。自身の味覚センスには昔から自信がありました。

「一度食べた料理の味を再現したり、話を聞いたりしてその人の好みそうな味を作るのが得意なんですよ」

京都の地で覚えた味と、センスを武器に磨いた腕を持ち帰って。

とんこつ県、福岡で勝負するための、オリジナル「醤油ラーメン」「塩ラーメン」を生み出した松岡さんは、

2018年、満を辞して行橋市に「さくら亭1号店」となる『醤油・塩ラーメン専門店 さくら亭』をオープンするのです。

 

ここまででも既に、怒涛の人生だなぁと圧倒されるのですが…。

こんなもんじゃありません。

ここから松岡さんの「俺流人生・第二章」が始まるのです…。

 

第二章・コロナ禍での2号店

1号店での経営も順調だった2020年。

世の中は新型コロナウィルスに侵され始めます。

飲食店には様々な制限が強いられ、飲み屋街に程近い場所にある1号店は、夜の時間帯での時短要請で、まともに営業できる日が減っていきました。

なかなか終息する気配を見せないコロナウィルス。いつまでこんな状態が続くのだろうかと、世間の誰もが思っていたはずです。

そんな中、歩みを止めないのが松岡さん。

コロナ真っ只中の2021年9月、みやこ町に

お昼の時間帯を主軸とした「塩SOBA・さくら亭」をオープンさせるのです。

 

昨今のコロナ禍について、松岡さんは言います。

「コロナは時代を変えました。予想がつかない状況だからこそ、選択肢も多く、迷うことも多い。特に飲食店は、なにか一つ間違えるとすぐに崩れるんです。だからこそ自分の力量が試されているようで、もともとが強気な性分だから、逆に楽しんじゃってる部分もあるのかもしれない(笑)。生意気だと思われるかもしれないけど、僕はコロナで本質が見えたと思っているし、ここを乗り切ってこそ本物だと思ってる。もちろん、自分はまだまだだって思っているけど、子どもの頃から何でも自分が1番じゃなきゃイヤだったし、それは実際いろいろ1番になってきたんで(笑)。わがままだったなーって自分でも思うけど、譲れないものがやっぱり昔からありますからね。それが見えたぶん、コロナにもある意味感謝なんじゃないですか(笑)」

時折微かに笑いながら、けれど淡々と語られるその眼差しは真剣そのもの。

世の中に暗い影を落としているこのコロナ禍で、松岡さんの口からはポジティブな言葉しか出てきません。

そうして2号店は、オープン直後からお客さんがひっきりなしにやって来る人気店となるのです。

 

第三章・人生を変えた大事故

ここで「俺流人生・第三章」。

とんでもない大事件が起こります。

 

みやこ町の2号店がオープンしたばかりで、多忙を極めていたある日のこと。

それは「ちょっとした気の緩みだった」と松岡さんは言いました。

 

翌日のスープを仕込んでいる最中。

時間に追われる忙しさと、蓄積される疲労。

少しでも効率よく作業をこなそうと、僅かな焦りが生じたその瞬間。

持っていた圧力鍋が爆発を起こし、松岡さんは全身に熱湯を浴びて大火傷を負ったのです。

それは、「死を覚悟した」というほどの重傷でした。

すぐに救急搬送され、集中治療室へと運ばれた松岡さん。

薄れゆく意識の中で、必死で処置を施す医師からの

「大成するやつがこんなとこで死なれないぞ!!」

という叱咤だけが、ハッキリと脳裏に焼き付いて忘れられないと語ります。

 

それから5日間、松岡さんは意識朦朧と、生死をさまよいました。

両腕両脚の皮膚はただれ、激痛が続きます。

しかし、懸命な治療と、医師からも驚異的と言われた回復力で、松岡さんは1ヶ月ほどで退院しました。それでも、今もなお傷は完全には癒えていないと言います。

 

入院中、病室のベッドの上で。

松岡さんは初めて、「何もしない時間」を体験しました。

「あんなにもゆっくり自分を省みれる時間は、これまでになかった」

そう思い返しながら、松岡さんは続けます。

「慎重に、丁寧にやりなさいよと、天から言われたような気分でした。大変な思いをしたけど、今ではああなって良かったと思ってるんですよ。本当に死ぬかもしれないと思ったからこそ、人生観が変わったんです」

それまで、「俺がやらなきゃ」「俺がいないと」と、すべてを一身に背負っていたという松岡さん。

しかし、オープンしたてのお店を、自身が不在の中、家族やスタッフが必死で回してくれていました。もちろん、自分が動けないことの悔しさもあったけれど、それでも、自分がいなくてもお店がちゃんと回っていることを、心の底から嬉しく思ったと言います。

改めて、家族やスタッフへの感謝と信頼を確認できた時間だったと、腕の火傷の跡をさすりながら。

「ほんとに死んでもおかしくなかったですからね。あの体験をして、更に怖いものがなくなったというか(笑)。あと、確実に俺は心が広くなって帰ってきたと思いますよ(笑)」

冗談めかして言うけれど、松岡さんのその顔は、この日1番の笑顔でした。

「だけど俺、店のみんなにありがとうは言ってないんですよね。迷惑かけました、って頭は下げたけど。ありがとうは、ちゃんと店として、仕事として返さなきゃいけないって思ってるんで」

どこまでも自分を貫き通す松岡さん。

けれどサンチェは、その感謝の気持ちは言わずともきっと皆さんに伝わっているんだろうなと感じたのです。

 

第四章・支えてくれる仲間

というのも、スタッフさんと松岡さんの間に、確かな信頼関係がしっかりと見えたからなんです。

真剣な表情でミーティングをする様子と、和気あいあいとした厨房の様子。松岡さんの貴重な笑顔にギャップ萌えです(笑)

 

 

今回は、そのスタッフさんにも少しお話を伺ってきました。

まず、松岡さんとは高校の同級生だという吉岩広太朗さん。

もともと飲食店で働いていたけれど、コロナのタイミングで辞職することになり、そのときに声をかけてくれたのが松岡さんなのだそうです。

松岡さんは高校時代から、周りとは一風変わった異端児だったとのこと。(笑)

それでも、吉岩さんは松岡さんのことを、

「彼は友達であり、自分の『目標』です」と断言します。

 

 

そしてこちらが、

アルバイトの戸敷(とじき)俊祐さん(右)と、大水裕太(左)さん。

24歳とまだ若いお二人は、口を揃えて

「松岡くんはかっこいい」と言います。

厳しいけど優しい。人がためらうようなことでも、躊躇なくやる。有言実行で、フットワークが軽い。等々。

まぁ取材されて記事になる以上、悪口は言えないのかもしれませんが(笑)

尊敬や憧憬が見て取れる、愛のある返答ばかりが返ってきました。

松岡さんがスタッフを大事にして、愛し愛されている証拠ですね。

 

実はスタッフさんにインタビューしていて、とても意外だった回答がひとつ。

それも、全員が同じことを言ったので真実なのでしょう。

それは、「松岡くんはおもしろくて親しみやすい」です。(!)

冒頭で「とっつきにくい」なんて書いてしまってごめんなさい(>_<)

やっぱり、スタッフさんには松岡さんの優しさがちゃんと伝わっているんだなと、サンチェは痛感いたしました(笑)

 

第五章・自分の欠点、そして目標

そんな素敵なスタッフに囲まれ、魅力あふれる松岡さんですが、自身の欠点についても語ってくれました。

「自分は本当に素直じゃないんです。褒められることに慣れていないというか、褒められるのがちょっと苦手で。だから、相手のことを褒めることが下手くそだったりするんですよね」

自分には、「褒めて伸ばす」才能がないと言う松岡さん。

しかしその分、しっかりとした考えをお持ちでした。

「ただ褒めるよりも、自分の背中を見せて行きたいんです。自分は、褒められてもあまり嬉しくないというか、まだまだ俺はこんなもんじゃないっていつも思ってるんで。現状で満足せず、常に上を目指してやっていく。その背中を見て、言わずとも伝わってくれたらいいなって思ってます」

まだ29歳という若さでありながら、松岡さんは「自分より下の世代の希望でありたい」と語ります。

自分が頑張って成功することによって、それを見て「俺も頑張ろう」って思ってくれる奴がいてくれたらそれでいい、と。

クールな見た目によらず、その内側には本当に熱き想いを秘めていることがわかります。

こういうところに、多くのスタッフが慕う理由があるのでしょうね。

 

第六章・今後の「俺流人生設計」

これまで、こんなにも濃い人生を生きてきた松岡さん。

今後の人生設計としては、どのような展望があるのか聞いてみたところ、なんと

「ラーメンだけに生きるつもりはない」との答えが返ってきました。

もちろん、店舗を増やしたり、他県や海外にも進出したいという想いもあります。しかしそれは、自分より若い世代にどんどん引き渡して行きたいと言うのです。

「僕は、50歳になったら一度すべてをリセットすると決めているんです。それまでに創ってきたものを、若手に渡して一度すべて手放して。そして、自分が50年間で培ってきたもので、もう一度ゼロから新しいものを創り出して自分を試したい。僕は性格上、スローライフなんてのは絶対出来ないんですよ。止まれないんです。(笑)だから死ぬまで一生、何かに挑戦し続けているだろうなって思ってます」

 

…サンチェは「老後はのんびり過ごしたい派」なので(笑)、この考え方には脱帽でした。

たくさんのお話を聞いて、松岡さんの放つ「独特のオーラ」の根底が、少しだけ見えた気がしました。それでもまだ、少しだけ、です。(笑)

さくら亭のラーメンもさることながら、松岡さんに会いに行くという理由でお店に行かれる方も多いのではと思うほどに。

「俺流人生」を聞けば聞くほど、その不思議な魅力にどんどん興味が湧いてくる。松岡さんのルーツと展望は、実に重厚で面白いものでした。

 

最後に

料理は作ったその人の人柄が出る。

そんな言葉を聞いたことはありませんか?

まさに、さくら亭のラーメンには、まるで松岡さんの人生が映し出されているようです。

現に、松岡さんは「うちのラーメンはまだ未完成なんですよ。日々進化し続けているんです」と言い切ります。

挑戦し続ける松岡さん自身が、どんどん成長していくように。

さくら亭のラーメンも、これから更に進化を続けていくのでしょう。

こんなに美味しくて面白いラーメンが、行橋市とみやこ町で、あなたを待っています。

もちろん、松岡さんも。

 

美味しさの向こうにある、その深さを感じながら。

あなたも味わってみませんか?

きっと、心に染み渡る、深———い一杯になること間違いなしですよ(*^^*)

 

さくら亭 概要

店名 醤油・塩ラーメン専門店さくら亭
ジャンル ラーメン店・居酒屋・小料理
住所 行橋市中央2丁目5−9
駐車場 なし
営業時間 19:00〜LAST
定休日 不定休
問い合わせ先 0930-26-3622
Instagram 醤油・塩ラーメン専門店 さくら亭アカウント
店名 塩SOBA さくら亭
ジャンル ラーメン店
住所 京都郡みやこ町国作615−1
駐車場 20台有
営業時間 11:00〜14:30
定休日 不定休
問い合わせ先 0930-33-2112
Instagram 塩SOBA さくら亭アカウント
ABOUT ME
サンチェ
生まれも育ちも現在も、生粋の京築人。 学生の頃から書くことが好きで、自身の体験を元にした小説がKBC「福岡恋愛白書」で採用されドラマ化したことも。 2009年より「創書工房サンチェ」の名でネームインポエム作家として活動。2017年より筑豊の地域情報誌「Saka-yell(サカエール)」の専属ライターを務める。 1女1男の2児の母。離婚、再婚を経験し現在はステップファミリー。ロックンロールをこよなく愛する自由人で、度を超えた最強のポジティブシンキングを持つ。