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【今川河童駅】オープン前の「行橋はカッパ一色」だった

福岡県行橋市に「今川河童駅」というユニークな名前の駅があります。この駅がオープンしたのは1990年のことですが、私のように外から移り住んだ人や若い人の中には、なぜ「河童」が駅名になっているのか知らない人が多いかもしれません。ある日ひょんなことから今川河童駅オープン時の話になり、仰天の事実とユニークなエピソードを聞きました。架空の生き物を駅名に使ったのは日本初、今でも日本で唯一の駅だそうです。そのレアな名前に負けないくらいのインパクトがある、駅オープン前の河童フィーバーの話をまとめました。

平成筑豊鉄道「へいちく」

今川河童駅ホームから今川河童駅をホームから撮影

直方市〜田川市〜行橋市を結んで走る平成筑豊鉄道(田川線、伊田線、糸田線)は、第3セクターとして1989年(平成元年)10月1日に開業し、地元では「へいちく」と呼ばれ親しまれています。今川河童駅は、田川線(行橋〜田川伊田間)の駅の一つです。
平成筑豊鉄道公式サイト→へいちくネット(外部リンク)

仮称「今川駅」から「今川河童駅」に

今川河童駅2022年2月11日に撮影

今川河童駅(行橋市流末)は、1990年(平成2年)10月1日にオープンしました。計画段階の駅名は「今川駅」でしたが、「新駅にぜひ河童の名を」という地元住民の声により実現しました。

日本には河童の言い伝えがあちこちにあるようですが、へいちく車両が走る今川流域にも河童伝説があり、相撲を取りたがる河童やいたずらがすぎるカワントンなど、河童の言い伝えが残っているようです。

みやこ町のホームページには、京築の河童伝説が掲載されています。→「河童相撲 いたずら河童の話」(外部リンク)

「カッパコンテスト」が河童フィーバーの火種?

今川カッパ郵便局のスタンプカッパコンテストを行なった今川郵便局の「今川カッパ郵便局」のスタンプ

新駅オープンの約半年前に、今川郵便局で「第1回カッパコンテスト」が開催されました。1990年4月15日号の市報で幼児から一般の方に向けて、「もし今川にカッパがいたとしたら?」というテーマでカッパの話と絵を募集したところ、締め切りの6月には516点という予想を超えた応募がありました。

思った以上に地元は河童で盛り上がり、新聞は「今行橋はカッパ一色」「河童駅ができるぞ」「行橋は河童ブーム」などの見出しで賑わい、今川郵便局は「今川カッパ郵便局」と名乗るほどで、郵便局前には河童の看板が立ちました。これらのエピソードで当時の河童フィーバーが伺えます。このような経緯があり、平成筑豊鉄道の新駅を「今川河童駅に」という地域住民の陳情を受けた行橋市は、平成筑豊鉄道へ申請。役員会で仮称「今川駅」から「今川河童駅」への変更が決定しました。

河童のいたずら?謎のミステリーサークルが出現

河童フィーバーで沸く行橋で「今川河童駅」オープン1週間前の1990年9月24日に、奇妙なことが起きました。今川河童駅近くにミステリーサークルが出現したというのです。場所は今川河童駅から線路に沿って南(豊津駅の方角)へ約1.5Kmの地点にある田んぼ。当時行橋市の広報を担当していた人から、現地確認に行った時の話を聞きました。「稲が右回りの渦巻き状にきちんと倒されていた」ようで警察にも連絡しましたが、誰の仕業かわからず、田んぼに人が立ち入った形跡も見つからなかったそうです。

田んぼに現れたミステリーサークル今川河童駅オープンの1週間前に、突如現れたミステリーサークル。直径5mほどあったという

出典:週刊プレイボーイ 1991年5月7日号 (No.19)、集英社

宮田かっぱ村から贈られた「カッパ像」が今川河童駅のシンボルに

カッパ像前から駅構内から見たカッパ像

「カッパ一色」と表現されるほどの熱狂ムードの中、今川河童駅のオープニングセレモニーには各社マスコミが駆けつけました。地域の住民と子ども会が作った河童人形たちも勢揃いで、小さな駅はとても賑わいました。地元住民と一緒に盛り上げていく様子は、これまで河童を駅名にした駅がなかったこともあり、メディアの注目を浴びました。

夕方のカッパ像右手を上に、左手を腰に置いたカッパ像

オープニングには河童伝説の本家と言われる鞍手郡宮田町の「宮田かっぱ村」から、カッパ像が贈られ、除幕・入魂式が行われました。写真はそのカッパ像の現在の姿。今も変わらず右手を上げて左手は腰に当てたポーズは、まるで「少年よ、大志を抱け」と言わんばかりです。
カッパ像の背中部分には、甲羅があります。

駅の外から見たカッパ像駅の外から見たカッパ像。背中には甲羅が見える
河童の灰皿河童の灰皿がかわいい

駅のホームには、写真のようなかわいい河童の灰皿が設置されています。

これも河童のいたずら?

今川河童駅外観今川河童駅全貌。遠くにカッパ像が見える

今川河童駅の誕生に関わった人からお話を初めて聞いたときに、「けいちく暮らし」でコラムを書こうと決めました。その準備のため今年1月下旬に、息子を連れて今川河童駅へ写真撮影に行きました。その後、追加の取材を行い執筆に必要な材料が揃った段階で、1月に撮った写真を探すけれども見つかりません。

不安になって、一緒に行った息子に「一緒に今川河童駅に行って、写真を撮ったよね?」と聞くと、息子は「行ってない」と答えるのです。最近物忘れがひどくなったとはいえ、行っていないのに行ったと思うだろうか・・・でも、そういえばどうやって駅に行ったか、全く覚えていません。どうやって帰ったのかも思い出せません。車で行ったのか、自転車で行ったのか、歩いて行ったのか、どうしても思い出せないのです。

それに対して写真を撮った時の駅の様子は鮮明に覚えています。ホームへの階段を登りながら自分が発した言葉、ホームに白っぽいパーカーを着た男性が1人いて到着した車両に乗ったこと、ホームにある河童の灰皿を見て「わー、かわいい!」と言ったことをはっきりと思い出せるのに。

この記事の投稿直前(本日2月14日)、油須原駅でイベントが行われており、知人に繋げてもらって平成筑豊鉄道の社長さんとお話しする機会をいただきました。2月に写真を撮り直した時に1月の記憶とは異なる点に気がつき、平成筑豊鉄道の方に確認したいことがあったからです。

異なる点というのは「いまがわかっぱ」の駅名標が、1月下旬の記憶では古くなっていて文字の色が完全に消えていたのに対し、2月11日に撮影した時には新しい駅名標になっていた点です。そこでいつ駅名標を新しくしたのかを確かめたかったのです。社長さんのお返事は、確かに駅名標は古かったので新しくしたとのこと。しかし新しくした時期は昨年度末ということでした。昨年度末なら、2021年3月ごろということになります。

私の記憶にある2022年1月下旬の古い駅名標は、その時すでになかったはずです。ないものを記憶していたとは、どういうことだろう・・・。ちなみに私は平成筑豊鉄道を利用していないので、古くなった駅名標など見ていないはずです。
初めて行った油須原駅にたくさんの人がいて戸惑っていたら、男性が2人私に手を振るのが見えました。このおふたりは、たまたまFacebook上の私の投稿を目にして、社長さんに繋げてくれました。偶然が重なり、奇妙で楽しい経験ができました。

次回は「今川河童駅」誕生のきっかけとなった、河童ブームの火種となるイベントの企画・開催をおこなった前今川郵便局長の柏木秀樹さんを紹介します。

ABOUT ME
あゆみ
美容&医療ライター、美容・医療分野記事広告類の法令チェック・リライト、記事の編集・校正・校閲、薬事コンサルティング、西日本新聞社発行の地域情報紙「ファンファン北九州」ライター。過去に臨床検査技師から研究開発職にキャリアチェンジし、化粧品開発者として10年勤務後、大学で法学を学ぶ。 商業出版を経験『ピーターラビットで学ぶ!英語イメージ楽読術』(主婦の友社 2014年)、現在はブックライターとしても活動。尼崎市出身、行橋市在住。「英語絵本の会」代表。