今年は女流俳人・竹下しづの女の没後70年を記念して、行橋市の歴史資料館で企画展が行われています。
こんにちは、京築ママライターのあゆみです。
竹下しづの女って誰?と思った方、ご安心ください。私も知りませんでした(笑)。でも俳句愛好家なら誰でも知っている、有名な行橋市出身の俳人だそうです。しかし地元では、ほぼ忘れられてしまっている存在。
そこで没後70年を記念して行われる企画展は、俳句に縁がない人や若い世代の人にも知ってもらう良い機会と思い「けいちく暮らし」で取り上げることにしました。
女性に俳句の世界への扉を開いた先駆者の1人「竹下しづの女」
企画展を紹介する前に、まずは「竹下しづの女」とはどんな人なのか、説明します。
竹下しづの女は、明治の終わりから昭和の初めにかけて活躍した俳人です。
みやこ町の久保小学校、行橋市の稗田小学校、小倉師範(現福岡教育大学)の助教授として教壇に立ちました。結婚して2男3女の母となり、育児をしながら俳句を作っていたそうです。しづの女は吉岡禅寺洞・高浜虚子に師事し、大正9年(1920年)には強烈なインパクトのある俳句で、虚子が主宰する俳句雑誌「ホトトギス」の巻頭を飾りました。
女性で初めて、俳句雑誌の巻頭を飾る快挙
当時、俳句の世界は男性が占めていました。しづの女の俳句が雑誌の巻頭を飾ることは、俳人としてだけではなく、女性に俳句の道を開いた画期的な出来事でした。その上巻頭を飾った句が斬新でした。俳句だけではなく、漢文も男性のものと決まっていた世の中でした。そんな時代に女性が「ホトトギス」の巻頭を飾り、その句には漢文が使われていたのですから。しかも漢文が衝撃的。
竹下しづの女
しづの女は俳句三昧の日々を送っていたのではなく、子育てに追われる日々だったのです。
夜が短い季節といえば夏、夏の暑い夜、ただでさえ体力消耗、イライラが溜まりますよね。体を休めたいのに、子育てをしているとそうはいかない。おっぱいが欲しいと泣く子どもに、お母さんはこたえなければなりません。疲れ切った体、子どもはなかなか泣き止まない。そんな状況から生まれたのでしょうか。「須可捨焉乎(すてつちまをか)」とは、「捨ててしまおうか」という単純な意味ではありません。
俳句に漢文を使い、強烈なインパクトを与えた
私は漢文なんてほぼ忘れてしまい、解説するなんてことはできませんので調べました(笑)。
この漢文は本来、「すべからく捨つるべけんや」と読むそうです。ここの「べけんや」の意味は「〜できようか(いやできない)」となります。これは「反語」といい、本来の意味とは反対の意味を含ませる表現法だそうです。
日常生活でも反語的表現法はよく使うと思うので、ピンとくるのではないでしょうか。
例えばダイエット中なのに、めちゃめちゃ大好きなチョコレートを友人がくれるという場面。友人がふと思い出して、「そういえばダイエット中だったね、ごめん、いらないよね」と言った瞬間、「私がいらないって言うと思う?」という状況に・・・似てる・・・んじゃないかな・・・(ちょっと自信ない 笑)
「いらないって言うと思う?」の裏には(言うわけないじゃない)と言う意味が含まれています。それとよく似た表現技法だと思います。
私個人的には、「すべからく捨つるべけんや」を「すてつちまをか」と詠む感性に頭が痺れました(笑)。本当にすごい俳人ですね。
竹下しづの女の企画展〜須可捨焉乎 炎の女流俳人
今までの説明で、この企画展のタイトルに納得したのではないでしょうか。俳句は正直、私には縁のない遠い存在でした。文章を書くことを仕事にしている私ですらそのように感じる俳句ですが、しづの女のことを調べるうちに興味が出て企画展に行ってみたので、少し紹介しますね。
企画展の会場は、コスメイト行橋の2階にある「行橋市歴史資料館」です。カフェ「むぎもん」(旧名:糀カフェ)の隣。しづの女の企画展の前後にランチまたはおやつタイムなどもいいですね。
歴史資料館には行橋市内の出土品や歴史的に価値のある文献などが保管・展示されています。その中に、しづの女のコーナーがあります。
展示資料の中には、どの句集・俳句雑誌にも載っていない未公開と思われる俳句が展示されています。しづの女の生誕地である行橋市内でも資料は少なく、本企画展のために広く声をかけて個人所有をしている資料なども集めたそうです。普段はなかなか目にすることのできない貴重なものを、ここにくるとまとめて見ることができます!
本企画展は8月30日まで開催※されていて観覧料は無料なので、ぜひ立ち寄ってみてください!暑い時期なので、ちょっと涼みに寄ってみてもいいですね。
詳細は下記の通りです。
竹下しづの女企画展詳細
2021年7月22日(木)〜8月30日(月)※
行橋市歴史資料館(コスメイト2階)
開館時間:午前10時〜午後6時(入館は17時45分まで)
休館日:毎週火曜日
観覧料:無料
※8月10日からコロナウイルス感染拡大防止のため、歴史資料館が8月末まで休館になります。9月開館が可能になる場合には、本企画展は9月27日まで開催されます。
行橋市内にあるしづの女の句碑3箇所にも行ってみた
竹下しづの女は明治20年(1887年)3月19日に、京都郡稗田村大字中川(現行橋市中川)で生まれました。生誕の地中川には、昭和54年(1979年)に地元有志により句碑が建てられました。
立派な句碑には、「短夜や乳ぜりなく児を須可捨焉乎」に並ぶしづの女の代表作。
この句碑建立の前年に、中川の墓地に親族らによって印墓が作られていました。それも同じ句です。
行橋市立中京中学校には、平成3年(1991年)に父母教師会により句碑が建てられました。体育館や運動場に面して、母としてのイメージが強いしづの女の俳句が、子どもたちが強く逞しく成長する姿を見守っているようです。
企画展は8月30日まで(または状況により9月27日まで)開催しています。ぜひ足を運んで、行橋・京築を代表する俳人「竹下しづの女」を知る機会を作りませんか?文章書くのが好きな人は、刺激を受けにぜひ。