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八景山護国神社はどこにある?

八景山護国神社八景山護国神社

みやこ町の八景山に、護国神社があるのをご存知ですか?
私は11年前に関西からこの地方へ移り住みましたが、八景山は知っていても護国神社があることは知りませんでした。知る人ぞ知るスポットと言えますね!今回は八景山の山頂近くにある護国神社について、紹介します。

八景山護国神社を訪問することになったきっかけ

京築ママライターが企画した夏休みのイベント【作文ワークショップ】のテーマ、「戦争体験談を聞いて 心に残ったことを文章に表してみよう!」の準備のため、正八幡宮の権禰宜さんを通じて、行橋市遺族連合会・京都郡遺族連合会の各地区会長さん達に引き合わせていただきました。

ワークショップの準備のため打ち合わせをするうちに、遺族会が中心になって管理をしている八景山護国神社の存在を知りました。私たちは八景山に護国神社があることを知らなかったため、見学することになりました。

護国神社どこにある?道に迷った

八景山までは簡単に行けました。けれどもそこから先、護国神社への道のりがわかりませんでした。八景山には古墳があり、古墳の標識はあるのですが、護国神社の標識が一切ないのです。あらかじめ「わかりにくい」と聞いていたので、注意深くゆっくり運転しながらキョロキョロしていても、小さい山なのでグルグルまわるうちにすぐに山を出てしまうのです。

迷った挙句、山を出てすぐ車を止めて人に聞いたのですが、知らないと言われました。ライター3人で向かっていたのですが、3人とも迷っていて、一人からLINEで「到着した!」と連絡がありました。行き方を聞いて、私ともう一人もやっと到着。本当にわかりにくかったです。

これは標識が必要!と思いました。一体どこが、誰が標識を立ててくれるのでしょうか?地元の人も場所がわからないのですから、標識はあったほうがよいと思います。

八景山護国神社の歴史

冒頭に八景山護国神社は、慶應2年(1866年)長州戦争〜奥羽出兵、佐賀の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争、日中戦争、第二次世界大戦までの京都郡と行橋市の戦没者3,590柱の霊を祀る神社と書かれています。

この後、八景山護国神社の歴史が続きます。

  • 明治元年(1868年)11月 小笠原藩により田川郡香春神社境内に「表忠祠」(ひょうちゅうし)が祀られた
  • 明治4年2月、香春から現在の地に移された
  • 明治8年に「招魂社」(しょうこんしゃ)と改称し、官費支給神社となった
  • 昭和14年4月には、内務省令により八景山護國神社と改称
  • 昭和21年、宗教法人八景山護國神社となった
  • 平成2年、京都郡と行橋市の遺族連合会や郷友会などの尽力によって社殿を改築
  • 例年4月15日に大祭を挙行

社殿の改築中、台風の被害に

立派な社殿が平成4年に完成したのですが、前年に社殿の棟上げが終わったところで台風19号に見舞われ、屋根部分が階段下まで落ちてしまったのだそうです。社殿建設の費用は1億5,000万円。びっくりするような額ですが、屋根部分が壊れてしまったため、その部分をやり直さなければならず、さらに費用がかかります。

当時中心になっていたのは、現在遺族連合会で活動されている方々の母親たちです。母親の中には、家を抵当に入れてまで借金して修理の費用を出す人もいたと聞いて、とても驚きました。

石碑竣工を記念した石碑

そんな苦労があっての社殿完成ですから、今も八景山護国神社を守っている遺族会の人々の気持ちは、私たち世代には計り知れません。

八景山護国神社の管理

社殿

初めて訪れた護国神社は、管理が行き届いているように見えました。放っておくとすぐに雑草だらけになってしまいますが、背の高い雑草は見当たりません。

お話を聞くと、遺族会の人たちで定期的に掃除・草取りをしているのだそうです。八景山護国神社の場所は小さいとはいえ山の頂上付近です。駐車場から長い急な石段を登らなければなりません。

神社の鳥居と石の階段

遺族会の現状は高齢化が進み、中心的に活動している人は80代です。石段を登るのが辛い年齢となり、これから先の管理者は大きな課題となっています。どうにか引き継ぎができる団体や人に繋がればよいのですが、そう簡単にはいかないようで、問題は深刻です。

遺族会の将来

八景山護国神社への階段

戦争の体験談を聞いて文章を書こうという目的で、作文ワークショップを企画しましたが、遺族会の人たちの高齢化が進み、実際にワークショップに来てお話をしていただけるのは、第2次世界大戦中まだ幼い子どもだった人たちです。赤紙で召集された人や戦地に赴き生還した人たちからお話を聞くことは難しい時代になってしまいました。

今後、護国神社をどのように管理し、戦争体験をどのように次世代に語り継いでいけばよいのでしょうか。これは遺族会だけの問題ではなく、被爆国である日本で生まれ育った私たちが、2度と愚かな戦争をしないために考えなければならない課題である気がします。

八景山護国神社はどこにある?

手水舎(てみずや)護国神社の手水舎(てみずや)

肝心の場所ですが、Googleマップにも出てきません(汗)
護国神社の社殿の横に、小道があって石段で上に登っていけるようになっているのですが、登った先には室町時代に創建されたと言われる「太祖神社」があります。ここならGoogleマップに出てくるので、その地図を紹介します。

八景山護国神社からの眺めは最高

護国神社からの眺め護国神社からの眺め。築城方面が見渡せる

八景山に遊びに行った時に、護国神社に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
社殿前からの眺めがとてもよいですよ!遺族会の方に案内していただいた日は曇り空だったので、追加で晴れた日に写真を撮りに行きました。やっぱり天気が良い日は写真がきれいです。

護国神社からの景色こちらはみやこ町が見渡せます

鳥居にも注目〜みやこ町といえば書家・下枝董村(とうそん)

鳥居

小倉藩主の書の師範を務め、その後みやこ町でかずら筆を考案。日本の書家十傑でもある下枝董村の字が、八景山護国神社にある鳥居の柱に刻されています。

磐根社

鳥居には「磐根社(いわねしゃ)」という文字が。磐根とは「地の底にある岩」という意味があるらしいです。この記事に護国神社の歴史を紹介しましたが「明治8年に『招魂社』(しょうこんしゃ)と改称」とありました。名前が違う…。

護国神社の横にある古い石の階段を登ると、「太祖神社」があると紹介しました。実はそこには巨大な岩があるのです。「磐根社」はこの大岩に関係しているのかもしれません。

柱に刻された下枝董村の字向かって右の柱に刻された下枝董村の字

この鳥居の柱に刻された字は下枝董村のものであると、京築の郷土研究家に教えていただきました。

柱に刻された下枝董村の字向かって左の柱に刻された下枝董村の字

今回の護国神社訪問は、7月6日に行われた作文ワークショップの準備の一環でした。ワークショップの様子も、この「けいちく暮らし」で報告します。

ABOUT ME
あゆみ
美容&医療ライター、美容・医療分野記事広告類の法令チェック・リライト、記事の編集・校正・校閲、薬事コンサルティング、西日本新聞社発行の地域情報紙「ファンファン北九州」ライター。過去に臨床検査技師から研究開発職にキャリアチェンジし、化粧品開発者として10年勤務後、大学で法学を学ぶ。 商業出版を経験『ピーターラビットで学ぶ!英語イメージ楽読術』(主婦の友社 2014年)、現在はブックライターとしても活動。尼崎市出身、行橋市在住。「英語絵本の会」代表。